地価を左右する諸要因及び地価と経済との関係について

        
                                      古明地 秀行
                                 
                             平成15年9月

始めに

 地価の動向は、不動産コンサルティングを行うに当たって最も留意すべき事柄の1つである。地価がどうなるかは直接不動産投資や不動産処分の結果を大きく左右するのみならず、その国の経済環境をも左右し、間接的には顧客に対して多大な影響を及ぼすことになるからである。

 ここでは、地価は何によって左右され、そしてその地価の動きによってその国の経済がどのような影響を受けることになるのか等々について言及し、さらに経済政策の有り様についてや政策提言の必要性についてもて考えて見ることにしたい。

 

 地価を左右する諸要因

 地価変動は複雑な社会現象の1つであり、基本的には様々な要因の絡みで決まってくるものと見ることができよう。省みるにここ十数年の地価の変動には異常と言えるような大きな動きがあった。様々な要因のうち、この地価の動きの主な要因は何かを次に取り上げることにする。

 

 (1)、バブル期における地価上昇の要因

バブル前夜には、石油危機による後遺症、貿易黒字の留まるところのない増大に対する海外からの軋轢、それに昭和60年9月22日のプラザ合意以降の急激な円高の進行等によって、日本経済は停滞していた。これに対する打開策として、大きく取り上げられたのがプラザ合意以降の内需振興であった。それは思い切った金融緩和、財政出動、それにリゾート開発を柱とした地域振興等々であった。

 

ア、        超金融緩和政策

円高不況と貿易摩擦の打開策として、内需拡大のために大幅な金融緩和が行われて、量的金融緩和とあいまって、公定歩合は連続的に平成62年5月にかけて2,5%にまでひきさげられた。その後も当時としては史上最低のこの低金利政策が、平成62年10月19日のニューヨーク株式市場の大暴落(ブラック・マンデー)への配慮ということもあってか、2年3ヶ月も続けられた。このことも大きな要因となって、銀行側からの貸付攻勢が始まった(公定歩合が引き上げられたのは平成元年5月31日)。そして、それまで停滞していた地価が一挙に上昇に転じるところとなった。さらにその他の要因も重なって、地価はその上昇が上昇を呼ぶサイクルに入った。

日本の融資制度はその基本を土地担保に置いていたため、融資が融資を呼ぶ状態にもなったのであった。こうして雪だるま式の地価は上昇サイクルに入ったのである。

 

イ、        大規模財政出動

円高不況を改善させるためと貿易摩擦を緩和させるために、財政面からも梃入れがなされ、緊急経済対策として6兆円規模の財政追加支出も実施されたのであった。

 

ウ、        超金融緩和と大規模財政出動の結果としての株価上昇効果

上記のような景気刺激策によって、それまで停滞していた株価も急上昇過程へと入っていった。株価の上昇が地価の上昇を呼び、地価の上昇が株価の上昇を呼ぶといった循環(バブル・スパイラル)へと入っていったのであった。この頃は証券会社による強引な顧客の取り込みや会社間の熾烈なシェア争いもあって、これも株価を異常に押し上げる一因になったと思わる。様々な金融商品も新たに生まれ、一種の贋金作りのような様相さえ呈していたのであった。こうして膨らんだ金融資産によって、土地神話のもと土地の買い漁りがますます勢いづくところとなったのであった。

 

エ、        内需拡大への政策誘導

先に述べたようなもろもろの経済的課題を解決する方法として考えられたのが内需振興であった。この時の目玉となったのがリゾート開発であった。この頃すでに日常生活用の住居については、質はともかく量的には十分に満たされている状態にあった。こういうこともあって、リゾート開発の振興が政策として推し進められたものと思われる。     その結果、地価の上昇は都市部からさらに地方へと波及していったのであった。これも今日の日本経済の重石になっていることは周知のとおりである。

 

オ、        メディアによる煽り

メディアが日常生活にとって必要な情報源になっていることは否定できない。しかし、一方それは社会現象を煽り極端の方向へ持っていく悪習も常にもっている。情報の流れが一方通行であって、チェック機能が働きにくく暴走し易いのが現実であるからである。地価に関しても、土地上昇の報道、企業による土地買い漁りの報道、等々を頻々と流し、あたかも永遠に地価が上がり続けるかの錯覚を与えていたことは紛れもない事実であったと思われる。地価上昇の弊害の報道はあっても、地価が下落する可能性についての報道はほとんど皆無であったと言ってもいいだろう。

今でも馬鹿の1つ覚えのように意味不明の「経済の活性化」が声高に言われているけれども、バブル時にも「活性化」が流行言葉であった。過当競争、働きすぎがすでに問題になっている時に、それらを煽るような報道であり、国民の方向感を麻痺させバブルを肥大させる一因になったと思われる。

以上の他にも諸々の要因が働いて、異常な土地上昇が起こり、この弊害と言うか、副作用もマスコミ等で姦しく指摘されたのであるが、現に進行しつつある悪性デフレと比べれば大半の人々にとっては、はるかにハッピーであったと思われる。重大な問題はこのバブルよりその後に行われた半狂乱的なバブル潰しにあった。ちなみに、米国では前政権において、政策として株バブルが誘導され、それが住宅バブルに引き継がれているが、そこではそれを意図的に潰そうとするどころか、いかにバブルを温存させるかが、重要な政策課題となっている。

次に、何故日本経済にとって自殺的政策と言うべき、土地バブル潰しに走ったのか、そして地価下落の決定的要因となったのは何かについて言及してみることにする。

 

(2)地価下落要因としてのバブル潰しのための諸政策

ア、        メディアに踊らされた政策担当者

 株価と地価の上昇は、円高不況の日本を一挙に好景気へと押し上げた。一時は沈む事を知らない太陽のようであった。しかし、一方においてその弊害も顕著になってきていた。第一に人手不足になり、賃金は上がり、大企業が証券市場と金融機関から手に入れた割安の膨大な資金で中小分野にまで手をのばし、日本経済の裾野を支える中小企業の経営を圧迫するところとなった。こうして人件費の面、その他で国際競争力を削ぐこととなったと同時にもろもろの将来の懸念材料を山積みにしていったのであった。これらのバブルのマイナス面に対するマスコミからの指摘はほとんどなく、政府はすでに過熱している状態のもと、そのまま過熱政策をとり続けたのであった。

 マスコミの攻撃の対象はもっぱら地価にあった。一般大衆受けするように年収の5倍以内で戸建住宅が買える住宅政策を執拗に要求し続けると同時に、海外との比較で如何に日本の地価が高いかを訴え続けたのであった。そして、これは政府の土地政策に対する痛烈な批判へと繋がったのであった。

実際、野口悠紀夫著『バブルの経済学』(日本経済新聞社 平成4年)によると、昭和60年から昭和63年までは、日本経済新聞に現れた「バブル」という言葉を使った記事の件数はいずれの年も10件未満であったのに対して、平成元年には11件、日経平均株価がピークを迎えた平成2年でさえ194件であった。平成3年から一挙に急増して、同年に2、546件、平成4年には3、475件と何らかの意図があったかのごとく、それまでと比べたらまさに異常な数字となっている。多分、このようなマスコミのバブル攻撃、特に地価攻撃が素地となって、矢継ぎ早に地価殺し政策が発動されたものと思われる。

もし、この時、急激にして極端な土地下落が日本経済の根幹をも揺るがすかもしれないとの懸念を持たなかったとしたら、無責任も甚だしいと言わざるを得ないのである。すでに、この時には日本経済は土地本位制であるなどと言う概念が一般化していたからである。これは地価の崩落が日本経済の崩落につながりかねないことを意味していたのである。

現に銀行を始め、今日の経済発展に寄与してきた主要企業がバタバタ倒れ、日本経済は全体として崩壊寸前まで弱体化してしまっている。結果、税収は年々落ち込み、セイフティネット絡みの後ろ向きの資金需要は増え、こうして発生した税収不足に対応するため、矢継ぎ早に増税が実施されたが、まだ足りず増税案が目白押しとなっている。これまで営々として築いてきた企業や個人のストックもその大半があっという間に消失してしまった(土地と株式だけでもバブル時に比べて、現在の国民の金融資産に匹敵するような1、300兆円にも上る金額が失われているという)。結局、後世の世代がこれを補填するため社会的負担増と言う形で今日の土地失政を背負い込むことになる。

100兆円を越える財政資金の投入をしても、経済は一向に好転せず、失われた10年という状況を生み出した。今までは有効に機能していたはずのケインズ政策が今回はうまく機能しなかったのはなぜなのか。それは一重に土地いじめ、地価強制下落政策による地価の異常下落にあった。バブル崩壊後金融システムが正常に機能し得なかったのも、巷に言われているような銀行の不良債権処理が遅れたことにあったのではなく、その主因は地価の止まることのない下落にあった。この地価異常下落の素地を作ったのがメディアの誇張された地価悪玉説であり、それを現実にしたのがメディア情報鵜呑みのロボット型、思考能力停止政策担当者にあったと考えている。外からの不況ではなく、内からの不況であった。

 

イ、        強烈な金融引締め

土地高騰にメディアが沸騰するや、金融担当者は短絡的にこれまでの金融スタンスと打って変わって、これでもかと言う、企業の息を止めかねない金融引締めに入ったのである。例えば、平成元年の1年定期預金の金利は3,39%であったが、これが段階的に引き上げられ、平成3年8月には6.08%と短期間に79,4%もの上昇となったのであった。同時に不動産向けには総量規制が平成2年3月に実施され、強力な不動産向け貸出制限がなされたのであった。これについてもマスコミに発破をかけられて、マスコミの僕のごとく闇雲になされてのであった。

 

ウ、        土地保有者に対する過酷な税制  

金融面からの地価強制下落政策の効目は一過性であった。これに対して固定資産税の評価基準の大幅アップなど、税制面からの地価下落政策の地価への影響は甚大であり、今もってそれが続いていると言える。地価税(平成3年4月)、譲渡益課税等国税の面からの税制の行き過ぎはかなり是正されてきているのに対して、地方税である固定資産税の是正は微々たるものでしかない。固定資産税に関しては、その評価基準を将来にわたって最終的には導入前の3から4倍に上げるというのだから尋常の沙汰ではなかった。地方自治の身勝手ともいうべきだろう。しかもその効果となるとむしろ逆効果となって、地価の崩落やそれに伴う景気の悪化によって地方財政も一段と悪化するところとなってしまい、能無しの強欲という結果になってしまったのである。

アップ率について言えば、法人に対する都道府県民税及び市町村市民税の均等割り課税に関しても目にあまるものがあった。昭和40年代には合計年額2、000円であったものがあっという間に70、000円になったのである。なんと短期間に25倍にも引き上げたのである。実質休眠状態にある法人に対してでもある。こうして吸い上げた税金を赤旗を振って賃上げに走っていた職員の給与や豪華な施設の建設費に当てていたのであるから、何をか謂わんかである。悪代官なみである。

つまり、今回の10年余に亙る戦後最大の不況の最も大きな要因は、固定資産に対する課税の身勝手な強化と状況に応じてそれを臨機に是正するという柔軟性のなさにあったと考えている。私の利益と全体の利益とが必ずしも一致しないのと同じように、地方(部分)の利益と全体の利益とは必ずしも一致しない、これは良い1つの例とも言えるだろう。地方分権推進の影の部分の1点としても十分に注意すべき点であろう。

   

エ、        不良債権の強引なまでの早期処理政策

現在、不良債権早期処理が国の最重要政策の1つとなっている。この政策についても部分と全体、現在と将来との絡みが忘れ去られている感がある。金融機関に限定して、それを取り巻く諸条件を一定不変なものと設定して考えれば、多分不良債権の早期処理は日本経済にとってプラスになることであろう。しかし、現実は机上の経済プランとは違うのである。一方が静的であるのに対して他方は動的である。それ故、不良債権の強引な早期処理は、地価の一層の下落を呼び、日本経済の基礎的条件を一層悪化させ、巡り巡って新たな不良債権を生む要因となるのである。実際、不良債権の早期処理が叫ばれて一年、却って不良債権は増えており、りそな銀行のような金融機関の経営危機も再び発生してきているのである。

現下の日本経済は悪性デフレの状態にある。不良債権の早期処理はこの悪性デフレを深化させることになる。この早期処理は企業破綻を加速させることであり、不動産を放出させることでもある。失業を生み、地価を下落させることである。これらにより、セイフティネットと称する後ろ向きの財政支出が増えると同時に税収はますます落ち込むことになる。このため、財政改革と称して前向きに財政支出を抑えても、それ以上の税の減収となり、さらに不況の深化に伴う後ろ向きの財政支出が増え、財政状況は一層悪化することになる(現に1990年のバブル期には財政状況は著しく改善され、赤字国債は0円になっている)。これが増税を呼び、内需はさらに落ち込み、国内の産業基盤はがたがたになる。そこで企業は外需で生き延びようとする。このため為替は不況下の円高に向かうことになる。こうして日本は更なるデフレ不況へ落込むことになるのである。

アメリカで不良債権の早期処理がうまく機能したから日本でもというのは、馬鹿の一つ覚えもいい所である。アメリカでは当時、今日の日本とは逆に手におえないインフレ下にあったはずである。不良債権の早期処理によるデフレの深化という問題は発生しなかったのである。

政府は、結果として国の金融機構にますますのダメージを与え、日本経済をより悪化させ、将来の世代により大きな税負担を強いるために、不良債権の早期処理を金融機関に強いていることになってしまっているのである。 「 現在の深刻な不況の主因は、官民が金融機関の不良債権処理を先延ばしし、バブル崩壊の後遺症を悪化させたことだ」などと間抜けなことを言っている大方のお茶の間評論家諸氏の尻馬に乗った形になっているのである。むしろ、不良債権処理を先延ばししたによって、日本経済はかろうじて地獄を見ずにすんできたと言うべきだろう。

 

オ、        会計基準の変更

 「会計基準」と一口にいっても、日本の会計基準、国際会計基準、米国会計基準、その他各国の独自の会計基準といったさまざまな基準があり、それぞれの国の会計風土に適した形で運用されてきたのであったが、グローバル化の流れの中で欧米の会計基準と対比され、その異質性が指摘されて、特に米国の会計基準の影響を受けて日本の会計基準も、いわば外圧によって、日本経済の現状を無視してまでその変容を余儀なくされてきている。

これは、言わばよその土俵で相撲をとることを強いられているようなもので日本企業(非上場企業についての影響は小さい)、とりわけバブル崩壊後の失政によって極端に体力の落ちている金融関連企業、その他の企業には対外的に手痛いハンディとなる。こうして発生してくる財務体質の悪化は企業の土地放出や株式放出を促し、これもまた土地下落の要因となっているのである。

 

カ、        国土法等による法制面からの地価下落圧力

  土地の投機的取引や地価の高騰を抑制するとともに、適正かつ合理的な土地利用の確保を図るという目的のためにと称して、国土法(国土利用計画法)ができて、土地取引について届出制が設けられて、制度上からも地価の市場外での引き下げ作用が働くこととなった。この届出制の現状への対応は速かったとは言えないまでも、現況に合わせ平成10年9月には制度が変更され、原則として事後届出制となった。

 極めつけは、平成元年12月22日の「土地基本法」の施行である。その第4条(投機的取引の抑制)では「土地は、投機的取引の対象とされてはならない。」と規定して、ここでも地価の抑制がはかられることとなったほか、その第16条(公的土地評価の適正化等)については、今回の平成不況の最大元凶と考えている固定資産税の、経済システムを一挙に破壊しかねないような法外なアップの法的根拠ともされ、それは日本の経済基盤に大打撃をあたえる法律となっているのである。

 第4条については、投資と投機とどう区別するかの問題もある。市場経済下にあっては、投資は勿論、投機も排除はできず、必要なのはコントロールである。「土地は、投機的取引の対象とされてはならない。」は土地についての投機をきっぱりと否定しており、これでは経済を麻痺させてしまうことになる。

経済活動には常に投機的要素が絡んでおり、投機を否定することは経済活動を否定することにもなるのである。不動産について言えば、投機の否定は仮儒を抑え、不動産の流動性を失せさせることになるのである。だから何度土地流動化対策を打ち出してもその効果はさっぱりだったのである。「角を矯めて牛を殺す」を地でいっているのがこの「土地基本法」とも言えまいか。ある意味では土地に対する投機以上の投機的法制とも言えよう。

 

キ、        財政支出の削減と国有財産の売却促進

 デフレ下における財政支出の削減は、更なるデフレの要因となる。国有財産の売却促進についてもしかりである。一時的財政悪化はあっても、悪性デフレ下にあっては財政面からの景気下支えは必要である。それが税収減への歯止めとなって、運営のよろしきを得ればむしろ財政の健全化に資するところとなるからである。

 国有財産の売却についても、今はむしろこれを抑えるべきである。この売却が地価の下落要因となって、地価を下げ、デフレを誘い景気悪化と税収の減少をもたらすからである。旧国鉄所有地についても、バブル期に売却を抑制して、デフレ期にそれを促すのは愚の骨頂もいいところである。バブル期には売却を促進して、土地の供給を増やすと共に、売却代金の最大化を目指し、デフレ下にはそれを抑制して供給を抑えるというのが、公の絡んだ仕事というものである。

 

(3)その他の地価下落要因

ア、        少子高齢化

 少子高齢化は土地需要の減少要因となって、地価の下落圧力となる。バブル期以降続けられてきた地価強制下落政策によって、不景気が長期化し、増税に次ぐ増税となり、公立学校の授業料も値上げされ、これらによって少子化傾向に拍車がかけられ、地価下落要因が膨らむところとなってきている。少子化問題は、日本経済圧搾政策によって将来世代に先送りされた痛みの問題と言えるだろう。

日本の高齢化率は世界に例をみない速さで進んでおり、これもまた生産性の低下と福祉関係費の増大をもたらし、日本の経済環境をますます悪化させ、土地の経済的価値を下落させることになる。

 

イ、        景気悪化による経済活動規模の縮小

 地価と景気の間には、地価の下落→景気の悪化、景気の悪化→地価の下落、という関係を見ることができる。

 つまり、地価下落で土地の担保機能は縮小し、これが不良債権の土壌となったほか、貸出残高の減少をもたらし、結局、経済活動を萎縮させる結果をもたらすところとなったのである。経済活動の萎縮は、土地需要の減少をもたらすと同時に、固定資産税の増税も絡んで土地放出を加速させるところとなって、更なる土地の下落へと繋がったのであった。

 

ウ、        株価の下落 

 株価の下落と地価との関係についても、上と同様な構図を描くことができる。地価の下落→株価の下落、株価の下落→地価の下落、といった構図である。株価は景気の先行きを暗示しているとされているので、当然といえば当然である。過去の株価と地価との関係を見ても、一般に株価が先行してその後を地価が追うといった形になっていて、両者の相関関係は非常に大きいのである。

 

エ、        地価評価方式の見直し

海外の不動産と比較して、日本の不動産はあまりにも高すぎるというマスコミの煽りを受けてか、不動産鑑定において地価評価方式の見直し機運がたかまり、「収益還元法」を評価の柱にすべきとの方向性が学者や不動産鑑定士等の専門家によって提唱されるところとなった。

基本的には、株価と同様不動産価格も需給によって決まっている訳だから従来通り不動産の成約価格をもって評価の柱としていることに特別の不都合はなかったはずなのに、現に得られている、得られるであろう収益によって決まるべきだという主張がなされたのである。収益も長期的には需給関係によって左右されており、あえて「収益還元法」を強調すべき特別の理由は見出せないのである。ただ、はっきりしていたのは、「収益還元法」には強力な地価引き下げ効果があったということである。

日本の不動産には間接金融には欠かせない担保としての伝統的な価値があり、それも不動産保有価値として地価に内包されているはずであるが、「収益還元法」ではそれは無視され、また資産として預金するがごとく土地を保有しているという国民性も削ぎ落とされてしまっているわけだから、評価は一段と引き下げられることになる。これも、言わずもがな大きな地価下落要因となったのだある。巡り巡って戦後未曾の不景気の要因ともなったのである。

 

オ、        人件費格差による企業の海外移転

日本企業の海外移転も不動産需要を弱め、逆に不動産放出を促し、結果不動産の供給が増え、地価を押し下げる要因となっている。地価の下落→景気の悪化→デフレの進行→相対的人件費高→海外移転→地価の下落。現在はこのような悪循環に陥っているのである。

 

3、地価と経済との関係 

すでに、随所においてふれたように地価と経済との間には密接な関係がある。一般に好況とともに地価は上昇し、不況と共に地価は下落する。地価高騰に弊害はあるとしても、それは経済が堅調であることの証でもある。無下に土地高騰を悪として、それを退治することが社会正義であるかのごとく振舞ってきたこれまでのマスコミの報道は、まさに日本経済を殺す所業であったと言えまいか。

すでに述べてきたように、地価の強制的引き下げ政策や、その他さまざまな要因によって、バブル後一貫して地価は下げ続けてきた。株価も下げ続け、戦後営々として築いてきた国民の資産が霧消と化してきた。これについては地価と経済の関連性についての認識に欠けた識者やメディア、それにこれらに踊らされた政策立案者に多大な責任があると言えよう。

かっての列島改造時に起こった地価高騰についてはどうであったか。やはり、その後の地価の下落と経済の下降で、ゼネコン、大手不動産会社をはじめ、値下がりした土地の大量ストックを抱えているところではその処理に苦悩するところとなった。しかし、当時は今のような地価の強制下落政策は採られなかった。さらに石油危機のあおりを受けて、今日とは反対に経済はインフレへと向かっていった。石油危機から脱するための大胆な財政出動もあった。こうして土地下落の後始末はなんとなく穏便にすんだのであった。

今回はこのときの経験則を生かすどころか、その経験則を経済を殺すために使っているとの感さえあるのである。アメリカでは先に述べたように、前政権においては積極的なバブル政策が採られたようである。現政権は、それを潰そうとはせず、その維持に腐心しているようである。不動産市場も活況を呈していたが、日本のように政策担当者にそれを潰そうとする意図は感じられず、むしろ如何に今の活況を維持するかに関心があるように見受けられる。不動産価格と経済との関係について十分な認識を持ち合わせているからであろう。

地価高騰に対する怨嗟の声が大きかったのに対して、地価下落に対しての憂慮の声があまりにも小さいのが不思議である。体に例えて言えば、バブル現象は糖尿病への危険信号であり、デフレは低血糖症への危険信号である。何れが人体にとって危険性が大きいか、当然低血糖症である。だから血糖値を上げるための仕組みは複数用意されている。血糖値を下げるために用意されているのはインシュリンだけである。

これまで、述べてきたように、景況と地価とは密接な関係の下にあるので、土地の高騰は経済運営が成功していることの証でもある。一方、歯止めの効かない地価の下落は経済運営の失敗の証でもある。成功を排斥し、将来の国民の資産が日々失われている失敗を受け入れるとは何とも不思議な国民性である。

 

4、おわりに

以上、累々と述べてきたように、不動産関連政策が地価に影響し、それが日本の景気に影響し、また逆に日本の景気が地価に影響を及ぼしているのである。不動産コンサルティングを行うに当たって地価の動向は、最も注視しなければならない要素の1つであるから、地価形成の諸要素について検討を試みた次第である。

バブル時には地価の高騰が日本社会に及ぼす悪影響が頻々とメディアで流されていた。その批判には尤もな面も多々あった。しかし、そこにはどう見ても行き過ぎがあった。これはメディアの修正の効かない習い性でもある。眼前の事象をできるだけ大げさに扱い、大衆を如何に我が方に引き付け、利益に結びつけるかが彼らの第一眼目であり、社会性は二の次と見ることができる。

少なくとも為政者は、その責任上一般大衆以上にメディアに踊らされてはならないのである。我々の業務においても同様なことが言えよう。センセーショナルな報道をそのまま鵜呑みにして付和雷同して、自社の利益を損なうことのないように、また顧客の利益も損なわないように、常に報道には批判的精神を持って当たらなければならないであろう。

また、我々は国や地方公共団体の各種の施策についても、批判的な目を失ってはならないであろう。例えば、固定資産税の問題などである。これについては、訴訟も起こされている。平成7年9月、自治省の事務次官通達で固定資産税の評価水準を大幅に引き上げた6年度の評価替えを違法として、国や地方自治体を相手取って大阪地裁に国家賠償訴訟が起こされている。これに関して思考するに、憲法84条は、租税の新設及び変更は法律の形式によってなされなけれならないと規定しており、通達課税を額面では否定しているのであるが、昭和33年の最高裁では、特別の条件のもと、これを可とする判決も出ている。しかし、今回の固定資産税に関する自治省の事務次官通達は、これを可とするのにはその利害が全国的であり、あまりにも国民への影響が重大であり、根拠法令とされている「土地基本法」の条文の適用にしても拡大解釈に過ぎるとの感がある。従って、当然、前判決と同列には扱うことには無理があると思われる。

 特に問題の大きいのは商業用地等、住宅地に適用されている税の軽減措置の適用外の土地である。実際この適用外の土地のバブル崩壊後の値下がり率は、住宅地に比べてはるかに大きくなっている。この値下がり率の相違は、地価の異常なまでの値下がりが、自治省の身勝手な通達に大きく起因していることを如実に物語っているのである。

この地価の大幅な値下がりによって、資産は目減りし、不良債権は膨らみ、倒産は増え、失業者も増え、税収は減り、研究投資や設備投資も減り、過労死や自殺者は増え、少子化は進み、治安は悪化し、財政も悪化し、増税にはなり、年金環境も悪化し、等々良くないことのオンパレードとなったのである。破綻してマスコミの攻撃にあっている企業は、この税制のある意味では被害者であり、これらの企業には政府に対して穏当に請願する権利や、場合によっては国や地方自治体を相手に裁判に訴える権利もあるはずであろうし、そうすることが社会的存在であるが故のそれら企業の使命であるとも思われる。

 我々についても同様、この度は地価について論じてきたが、その他の問題についても我々の利益に沿うように、また顧客や社会の利益に沿うように、現場の目から見たメディア批判や政策提言も積極的に行っていくべきだと思う。これも我々の使命の1つと考えている。

コメイジ ユニバーサル(有)の不動産